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 3月6日から、四旬節の歩みが始まりました。
今年も教皇様から、私達への呼びかけが出されました。

*(2019年四旬節 教皇メッセージの一部を抜粋して)

≪破壊をもたらす罪の力≫
 実際、神の子として生きていなければ、わたしたちはたびたび隣人や他の被造物に対して――自分自身にさえ――破壊的な態度をとり、すべてを自分の意のままに利用できるという考えを、多かれ少なかれ抱いてしまいます。それにより、節度のない行いが横行し、人間の条件と自然を尊ぶことからくる制約を逸脱した生活様式が現れ、歯止めの利かない欲望に従うようになります。「知恵の書」によれば、その欲望は神を信じない者、つまり自分の行いについても、未来への希望についても神をよりどころとしない者たちのものです(2・1-11参照)。もし私たちが絶えず復活祭へと、主の復活の地平へと向かわなければ、「すべてを今、欲しい」「つねにもっと欲しい」といった考え方がますますはびこることは明らかです。

 罪はあらゆる悪の根源であり、原初に現れたときから、神、他者、被造物とわたしたちとの交わり、何よりもまず人間のからだを通してのつながりであるその交わりを阻害してきたことはいうまでもありません。神との交わりが絶たれれば、園が荒れ野と化したように(創世記3・17-18参照)、人間と、そこで生きるよう人々が招かれている環境との間の調和的な関係も傷つけられます。罪は、人間に自分のことを被造物の神、絶対的な君主であるという考えを抱かせ、たとえ他者や被造物を傷つけても、創造主のみ旨のためではなく自分の利益のために被造物を利用するよう人間を仕向けます。

 神のおきて、愛のおきてを捨て去るなら、弱肉強食の法則を肯定するようになります。人間の心に潜む罪(マルコ7・20-23参照)――それはどん欲であること、過剰な幸せを求めること、他者の幸せに対して、そしてしばしば自分の幸せにさえ無関心であることとして表れます――は、被造物、人間、環境からの搾取をもたらします。その搾取は、あらゆる欲望を権利としてとらえ、最終的には手中にしているものすら破壊してしまう、飽くなき欲望によるものです。

≪悔い改めとゆるしがもつ、いやす力≫
 四旬節は、とりわけ断食と祈り、施しを通して、個人、家庭、社会生活のなかで、さらなる熱心さと具体性をもって過越しの神秘を体現するようキリスト者を招いています。
「断食」とは、他者と被造物に対する姿勢を変えるすべを身につけることです。それは、自分の強欲を満たすために何もかも「むさぼりたい」という欲望から離れて、心の空白を満たしてくれる愛のために苦しむことのできる状態へと変わることです。「祈り」は、偶像崇拝や、自力で何でもできるという考えを捨てるために、また、自分には主と、主のいつくしみが必要であることを宣言するためにささげます。「施し」は、未来は自分たちのものではないにもかかわらず、その未来を手に入れられると錯覚し、自分自身のためにすべてを蓄えて生きようという愚かな考えを捨てるために行います。こうしてわたしたちは、兄弟姉妹と全世界を愛し、その愛のうちに真の幸せを見いだすという、被造物とわたしたちの心に神が用意してくださった計画がもたらす喜びを実感するのです。*

 新しい年、新しい元号の年に向かい、キリストの光が、希望が、平和が、ゆたかな命が、育まれますように皆様と共に祈ります。

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   ※新・2019年3月~4月黙想のお知らせ

   ※新・イニゴの部屋2部・イニゴ29連載しました。

   ※新・2019年度黙想会のお知らせ

 

目的

  • 祈りの体験を通して、信仰に基ずく深い人間的、霊的成長を望む人々のニーズに応える
  • キリスト教的霊性を深める道を探し、信徒、修道者,司祭がともに協力しながら祈る教会としての姿を求める
  • 広島(要請委員会・霊性委員会)の活動に協力する。
  • イグナチオの霊性に親しむ。
  • 信徒の方々に合う祈り方、瞑想などを体験し、東洋の霊性と瞑想の場を提供していく。